三宅太鼓

三宅太鼓について

三宅太鼓とは

世界的に活動する和太鼓集団「鼓童」が、「三宅」として世界各地へ広めてきた和太鼓のオリジナル版、
それが「三宅島神着神輿太鼓(みやけじまかみつきみこしだいこ)」です。
その名の通り、東京本土から南へ180km地点にある伊豆諸島のひとつである「三宅島」の太鼓です。
この「三宅」の原点となる太鼓のスタイルを鼓童に伝播したのが、
三宅島芸能同志会 代表の津村 明男(つむら あきお)です。

2012年度の中学の音楽の教科書「中学生の器楽」(教育芸術社)に、芸能同志会が紹介されています。

三宅島神着神輿太鼓

三宅島神着神輿太鼓のルーツ

三宅島歴史年表によると、「1820年(文政3年)神着村百姓藤助 同八三郎 同又八等伊勢参宮の帰途、京都祇園祭を見て帰島後、牛頭天王祭(ごずてんのうさい)を初む」とあります。この毎年7月中旬に行われる牛頭天王祭にて、神輿を先導するために打たれる太鼓が、「三宅島神着神輿太鼓」のルーツです。

牛頭天王祭では、太鼓係は祭りの始まる午前11時から神輿を納める夜20時まで、休むことなく太鼓を打ち続けます。2000年に、三宅島が噴火をする以前、津村明男もこの太鼓係を務めていました。津村明男が叩く「三宅島神着神輿太鼓」は、島では祭りの中で御神輿の伴奏として叩かれている太鼓を、舞台演奏向けに突きつめたものです。

三宅島神着神輿太鼓の特徴

「魅せる」と「演奏」を両立させたスタイル

三宅島神着神輿太鼓の最大の特徴として、その独特の型(フォーム)が挙げられます。腰を落とした低い姿勢で、地面に近い低位置に据えられた太鼓に、全身を使って(力まかせではありません)両面から2名(表と裏)で打ち込むというものです。

もともとは御神輿を先導する太鼓ですが、津村明男が「打ち込み太鼓」+「神楽」+「木遣」+「獅子舞」+「ひょっとこ」という構成で、太鼓を中心とした舞台演奏ができるスタイルに再構築しました。基本的なリズムが3つであることに変わりはありませんが、テンポや雰囲気など、がらっと変化したような演奏構成が組まれており、舞台を緩急織り交ぜ盛り上げます。

ばちは、長さ 49cm~51cm 、太さは演奏者の手の大きさに合わせた握りやすい、細めのものを使用します。太鼓は、「尺七」~「二尺」というサイズを用います。

シンプルだけど奥が深い、力強いリズム

三宅太鼓には、基本的には3つのリズムしかありません。ですから、楽譜は一切不要で、そのリズム自体は初回の体験稽古で覚えられるほど。

また、祭りの神輿の先導する太鼓をルーツとしており、とてもノリのいいグルーヴ感があります。そのグルーヴ感を支えるのが、素早くて、かつ強い打ち込みです。通常10年くらいは張り替える必要がないと言われる太鼓の皮も、早ければ、毎年張り替えなくてはならないほどの打ち込みなのです。

身体の中に入ってくる深い音色

三宅太鼓は、「耳で聴く」音色ではなく、「身体に響く」音色を特徴としています。

つまり、素早く力強い打ち込みにも関わらず、決して耳障りにはならないのです。津村明男は「聴き手の身体に音を入れていく」ことを指導しています。